ゆめがあふれるせかいへ

近道がないことは知ってるよ

“ジャニーズJr.担”を今日やめます

 

ジャニーズに入ってからずっと“ジャニーズJr.”だった自担が、今日をもって“ジャニーズJr.”を卒業する。

 

先日デビュー担の友人に「本当にいろんなとこでSnow Manの話あがるよね。こないだカフェ入ったら隣の人がSnow Manの話してて、あートレンドだなーって思ったよ」と言われたのがとても印象的で。セブンイレブンに行けば毎日入り口に自担がいて、毎日のようにテレビに出ていて、あらゆる場所でSnow Manの話があがる。何百人も出てる帝劇で“後ろの方にいる細くて背の高い一生懸命ダンスをする人”を必死になって探し出していた数年前には、そんな世界を1秒も想像もしてなかった。

webの連載もない、オリ曲もない、それどころか少クラの出演も年に数えるほどだったし、アイドル誌の掲載もごく稀。そしてもちろん、YouTubeもISLAND TVもない。ほんとに現場がなければ生きてるかどうかすらわからないくらいの情報の少なさだった。現場がなくなるとみんな、自担生きてる?が口癖だったくらい。そんな状況の中で仕事の大半を占めていた舞台やバックの仕事の現場では、本当に厳しいけど愛のある先輩に囲まれて回数を重ねるごとに成長していき、まわりの信頼も確実に得ていった。その結果バックについてほしいという依頼が多く、2015年は滝沢歌舞伎 新橋演舞場公演(52公演)が終わった10日後には、自分たちの単独コンサート(3日間)。その翌日からはA.B.C-Zのツアーのバック(東京・大阪)。2ヶ月後、滝沢歌舞伎 シンガポール公演(6日間)を終え、帰国した数日後から主演舞台の少年たち(33公演)など、毎年こんな調子だった。常に本番期間中に次の現場の稽古を行っていた。しまいには1年間で立ったステージ数は200を超え、あまりに忙しいSnow Manは「予約の取れない焼肉屋みたい(by 北山宏光くん)」と言われることもあった。けど、舞台やコンサートに実際に足を運ぶ人にしかその良さが伝わらないことが多かった。そう感じるその状況は毎年大きく変わることはなく、ずっともどかしかった。だけどその一方で「楽しいからいいか」と思っている甘い考えの自分も少なからずいたように思う。きっとその状況を誰よりも1番もどかしく感じていてどうにかしたいと思っていたのは、ジャニーズとして必死に闘っていた彼ら自身だったのだろう。

そんな中、数年前に三宅くん滝沢くんが雑誌の取材で「今Snow Manに足りないものはなんですか?」と聞かれて、口を揃えて「華」「技術もあるし完璧だけど華がない」と答えていたとき、悔しいけどぐうの音も出なかったことを思い出す。(発言は記憶の中のものなので一語一句はあってないとおもいます。ごめんなさい)

 

今からちょうど1年前の、2019年1月17日。それは正直わたしにとって10年以上オタクしていて、1番つらい出来事だった。


その日突然、6人のSnow Manを失った。


そこにあって当然と思ってしまっていたものが、突然なくなった。本気で生きる活力を失った。普段明るく楽しくオタクしたい精神のわたしも、あのときばかりはただひたすらネガティブな言葉でいっぱいのブログを書いた。今それを見るとなんだかすこし大げさに見えるのは、きっとこの1年間Snow Manが頑張ってくれたおかげなのかなと思う。当時は本当に悲しくて苦しかったし、6人のSnow Manを守れなかったことが本当に悔しかった。終わりって結構儚いことも、失ってからじゃ遅いことも、この時本当に痛感した。当時のわたしは向井くんがタイとのハーフ、ラウールくんがベネズエラとのハーフだということすら知らなかった。


この出来事で、いままでよりさらに上を目指しているんだと意識が変わったような気がするし、なにより同じ環境にいて6年以上経った状況で新しい選択をできたSnow Manってすごいなと冷静に思う自分もいたような気がするんだけど、当時はただやるせない気持ちが自分の気持ちの大部分を占めていた。

前向きになれる材料がなにもなかった。滝沢歌舞伎 南座公演の初日まで本人たちの姿を見ることはなかったし、発表の日に新聞でその決断についての言葉を見る以外は本当に何も情報がなかったから。今のSnow Manの人気と9人の安定感から想像できないと思うけど、もうそれはそれは、推測と批判と悲しみとで、SNSがとにかく荒れてた。本当に毎日。6人のファンだけじゃなくて、3人のファンも、それ以外も。それぐらいジャニーズJr.にとって、衝撃的なことだった。わたしはもう意見することすらも疲れて、毎日のいろんな言葉の行き交いにすっかり疲弊してた。

「いっそのことSnow Manと呼ばないで欲しい」6人でSnow Manという名前をもらった時、Snow Manを大事にしたいと言っていた彼らのことも大事にしたかったから、わたしはこう思ってた。こう思ったことは、のちに大後悔することになるんだけどね。

 

9人体制になった約4ヶ月後の、2019年5月5日。毎年恒例になっている、滝沢歌舞伎での深澤くんのお誕生日。お祝いの場面で挨拶を振られた深澤くんは目薬を取り出し、目に差してみんなを笑わせていた。そのまま明るく話しだしたいつもみんなの太陽みたいな最年長が突然、言葉に詰まった。そして徐々に肩が震え、お丸ちゃんの着物の袖で顔を覆う。そして一生懸命絞り出した声で伝えてくれた「僕だけじゃ守れないんです。みなさん、力を貸してください」という言葉。ここまで必死に守ってくれてた深澤くんが初めて出した、SOS。彼がファンの前で弱音を吐いたのも、あんな苦しそうに涙を流して言葉が詰まっている姿を見るのも、初めてのことだった。「頼れる最年長」と言って深澤くんをとにかく頼りすぎてしまっていたことにも、今がSnow Manの本当の勝負の時だということにも、ハッとさせられた。この日は、彼にとってわたしたちにとって、本当に意味のある日だったように思う。

あとで「(9人体制になったのは)Snow Manを守るため」と発言した宮舘くんの言葉からもわかるように、彼らは一生懸命Snow Manを守ろうとしてくれてた。

この話をすると必ず思い出されるのが、9人体制になって初めてのコンサートでの「僕はSnow Manでいることに、人生を賭けました」という深澤くんの言葉。ほんの少し震えてるようにも見えたけど、はっきりこう伝えてくれたね。

深澤くんはこの前の年の26歳のお誕生日の日に、滝沢くんから桜の盆栽をもらった。「来年はお前らも花咲かせろよ」という意味で。深澤くんはその盆栽を"お丸ちゃん"と名付け、それから毎日水をあげて、仕事で地方に行っていた時も親に頼んでまで水をあげてもらって、とにかく1年間大事に育てた桜が、このコンサートの日の朝に初めて花を咲かせた。
自分たちの手でSnow Manを守り抜くということを成し遂げた彼らを、とても誇らしいなと思う。

 

昨年初めて座長を務めた「滝沢歌舞伎ZERO」

9人になって初めてのお仕事。
ほぼ出ずっぱりで激しい動きばかりで、毎日みんなが必死に食らいついて命削ってるって感じで。まじでいつか誰か倒れるんじゃないかと、毎日ヒヤヒヤしてた。でも、言葉なしに“俺たちについてこい!”と言わんばかりのパフォーマンスをステージで見せてくれたことはかなり大きかったと思う。

 

“こうしてまた時間をかけて1から作って行こう”


そう思えたのは、具体的にこのとき、とかじゃなくて、そんな彼らを見ていくうちにだったかな。決定的な瞬間はない気がする。けど「急ぐ必要なんてない、着実に一歩一歩」それでいいんだと思えた。理解し合えない仲もあったりした6人の時だって、たくさん時間をかけたのだから。次第にYouTubeもたくさんの人に見てもらえるようになっていったし、活動の幅も広がっていった。目に見えて大きくなっていった。わたし自身もここまでアイドルのためにいろいろがんばったことってなかったような気がするし、前よりもっと彼らとファンが団結した、そんな1年だった。増員発表があって悲しくて悔しくて泣いたあの2019年1月17日からちょうど1年後の2020年1月17日。まさかMステでデビュー曲を歌ってるなんて思ってなかったな。本当に本当に、濃い1年だった。

 

あのときこの決断をしたことで、得られたこともたくさんあるし、それと引き換えに失ったものもあるかもしれない。
けどこの決断をしなかったらデビューだけじゃなく、Snow Manとして得たかったすごくすごく大事なものたちを掴めずにいたと思う。

 

改めて言うけど

向井くん、目黒くん、ラウールくん

6人と歩む決心をしてくれてありがとう。

 

 

「ジャニーズJr.は悔しさと闘う場所だ」
いつか自担が言っていた言葉。

昨年の夏にデビューが決まっていなかったら、きっと自担はまた新たな悔しさと闘い続けることになっていたであろう。そしていつか自担の心がポキッと折れてたかもしれないし、突然目の前から姿を消していたかもしれない。

 

15年近く悔しさと闘う中で自分には何もないと苦しんで、でもたくさん努力して前に進み続けた結果、いま「僕はこの仕事が天職だと思ってます」と言い切れるのって本当にすごいなあと思う。

「僕を構成する大きな要素が、悔しさ。不器用で、課題とぶつかることも多かった。でもそんな性格だからこそいい方向に動くこともあると思えるようになった」
きっとそんなふうに自分の中で消化できたからなのかもしれないね。諦めずに本当にたくさんの努力をして、自分の立ち位置を自ら見つけ出すことができたこと本当にかっこいいと思う。

きみは、自分は弱いと言うけど、そんなことないよ。
落ち込みやすいし抱え込みやすかったけど、まわりのために精一杯強い人間であろうと、たくさん頑張ってくれてたね。

 

それが顕著に出てた出来事。忘れもしない2016年8月12日、自身の入所12周年の記念日のコンサート。

それまでバク宙や台宙ができた運動神経のいいメンバーたちに反してずっと台宙ができなかった阿部くんがその日、突然高い台に登って客に背を向けてステージの端に立った。

 

そして、台宙をした。

 

少しだけ危なかったけど、でも手をつかずに、その足でしっかり着地した。

Snow Manの足を引っ張りたくないという気持ちと、ファンのみんなに成長を見せたいという気持ちが詰まったその台宙に涙が止まらなかったのをよく覚えてる。

 

 

 

 

この1年心が折れることが正直何度もあった。慣れないことも好きになれないことも、ゼロではなかった。それでもわたし自身が完全に心が折れて「Snow Manもういいや」という気持ちにならなかったのは、自担のアイドルとしてのスタンスやファンへの想いなど、彼の魅力であるものがデビュー発表前と今とで全く変わらなかったことが大きいかもしれない。
どんな時も「ファンの皆さんがいてくれるから」「みんながいなければここにはいない」と、いつもファンに優しい言葉をくれてありがとう。遠くに行っちゃったと思ってたら、近くに感じるような言葉をたくさんくれて、とても嬉しかったよ。大好きなところは、なにも変わってなかったな。
「阿部くんががんばってるから頑張ろう、と思ってもらえるのがベスト。みんなの原動力になれたらアイドルとしてそんな嬉しいことはない」
ここまで原動力がファンでいてくれる人って、素敵だなあと思った。

 

阿部くんは気象予報士世界遺産検定は受かるまでファンだけでなく、メンバーにも隠してた。気象予報士は5回受けてた(ちなみに気象予報士の試験は年2回)けど、全く言わなかった。世界遺産の本をメンバーに見られた時にも「どっか行きたいんだよね」ってはぐらかしたり。メンバーも知らないんだから、そりゃファンが「えっあの時そうだったの…?」みたいなことが多かったわけだよね。でも受かってからは以前より目標を口に出すようになった気がする。そうして発言するようになってから、「発言したことは責任をとらなければいけない」と自分を鼓舞することにつながったそうで、必死に努力して本当にたくさんの夢を叶えてくれた。クイズ番組が、まさにそう。
学業との両立に限界がきてマネージャーさんの前で泣いたこともたくさん悩むこともあったというのに、ファンの前ではいつも弱いとこなんて見せずに最後までやり抜いて、それが本当に本当に心配だったけど、やり抜いた阿部くんは世界で一番かっこよかった。

9人という新しい環境で、新たに叶えられた夢もあったね。ずっとグループで出たいって言ってたクイズ番組とか、歌番組とか。

そのたくさん叶えてくれた夢の中で叶えられていなかった夢、そのうちの大きな1つが「デビュー」だったね。6人時代、後輩たちがデビューしていって次第に「デビューしたい」という言葉をみんな口に出さなくなっていった。わたしの記憶の中での話だけど、「デビューしたい」と口に出す回数が比較的多かったのは岩本くんと阿部くんかな。それでも全体的にデビューに関しての言及は少なかった気がするし、わたしも正直デビューできるSnow Manをあまり想像することができなかった。

 

 

でもその夢はいつしか9人の大きな夢となり


明日、Snow Manがデビューする。

 

夢じゃない。

 

 

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セブンイレブン様が年末からカウントしてくださっていたこの数字もついに「あと1日」・・・)

 


自担がJr.を卒業するので、自ずとわたしも今日が“Jr.担”として最後の日になる。

わたし自身も他の子たちがデビューしていく瞬間を目の当たりにしたことは辛かったな。何度も何度も悔しいことがあったし、思うことがたくさんあったと思うのに、彼らは決して弱いところを見せずに、いつも通り最高のアイドルでいることに全力でいてくれた。それは本当に大きくて、だからわたしも強くいられたし、Snow Manを信じてこれた。そんな気がする。

いろいろあったことを思い出すけど、やっぱりJr.担は本当に楽しかった。クリエとか、歌舞伎とか、先輩のバックとか、初めてのWeb連載(すのにち)とか、初めてのオリ曲とか、夏のEXとか、初のCMとか、ZIPファミリーになったこととか、初のラジオレギュラーとか。

 

初めて単独で横アリのコンサートができた日の、きっと後にも先にもない目の輝きも、

自担が卒業式で不在のコンサートの途中、いないはずの自担がステージの上に現れた時のことも、

デビュー発表をした直後の自担の、泣きそうだけど本当に清々しい顔と頼もしい背中も、

そのコンサートが終わった後、すの担の友達たちと抱き合って年甲斐もなく声出して泣いたことも、

 

全部全部、一生忘れられない思い出。

 

たくさんのグループがある中で、"Snow Manの仕事がたくさん増えますように" "いろんな人に知ってもらえますように"という一心でリクエストとか感想とか送ったり、ひとつひとつの番組も盛り上げるのに必死だったし、グッズや写真も他グループより売り上げあげようとか、一年中そんなことばかり考えてるのも大変だったけど、でもとっても楽しかったな。すの担のみんなも、今日まで本当におつかれさま。

 

 

ジャニーズJr.としてたくさん楽しませてくれた自担とSnow Manに、心からありがとう。

 

 

最後に自担である、阿部亮平くんへ。

 

長年夢だと話してたクイズ番組、メインでいつか出るんだと言ってた歌番組、他にももう数えきれないくらいたくさんの夢を叶えてくれたね。世界で一番大好きなアイドルがここまでたくさんの夢を叶えてくれたひとつひとつの喜びは、きっと一生忘れない。

 

本当にたくさんいるジャニーズJr.の中から阿部亮平くんと出会うことができて、わたしは本当に本当に心から幸せでした。

 

そしてなにより、つらいことも本当にたくさんあったと思うけど、それでも15年間ジャニーズJr.として前を向き続けてくれてありがとう。

 

やるべきことはジャニーズJr.のきみが全部やった。


進むべきは、自分が正しいと思った方向。
誰よりも自分を信じてあげられる自分でいてね。

 

 

Snow Man/ジャニーズJr.」の阿部亮平くん。

もう一生出会うことはできないけど、

本当に本当にだいすきだったけど、

 

ばいばい。

 

 

 

 

 

 

 

さあ。

 

 

 

 


"The time has come"

 

時は来た。

 

 

 

 

 

 

自担が“けじめ”をつけた日の話

 

2年前、わたしは自担である阿部亮平くんからひとつ肩書きが消えてしまうことが嫌だった。

 

 

今から7年ほど前の2011年、私の自担は半年間休業し、そしてその半年後、上智大学に合格した。

Snow Manの前身グループ"Mis Snow Man"が自然消滅しかけた頃、それぞれが未来に不安を抱えていたその時に下した「大学に行く」「そのためにジャニーズを休業する」という決断。

"自分には武器が何もなかったから"

阿部くんは得意な勉強をアイドルとして生きていくための武器にしようと、高校3年生の時にそんな大きな決断をした。

そして無事大学生になって戻ってきた後、Snow Manが結成された。学業との両立を頑張りつつ「これからもアイドルであるための選択であって、大学生をしながらも俺はアイドルだからね」「俺は文舞両道のアイドルだ」と胸を張って言う阿部くんがわたしは大好きだった。(「文武両道」を阿部くんはいつも「文"舞"両道」と書いていた)

そんな発言は2016年夏に、日本テレビの番組「PON」に出演した時にもあった。2015年秋に気象予報士の試験に合格した阿部くんは、なぜ気象予報士の資格をとったのか聞かれ「売れたかったからです!」と迷わずこう答えた。アイドルとして売れたい、その一心で合格率4%の壁を越えようと5回にわたって試験を受け続けた。

家に一番あるものが参考書、ストレス解消法が勉強、舞台の幕間でも勉強、舞台後は疲れていてもすぐ家に帰らずカフェに行って終電まで勉強。そんな学ぶことが大好きだった自担が大学卒業する前にお友達と「学生じゃなくなってしまうのが寂しいなぁ。大学院いけばいいのにねぇ」なんて超無責任な話を冗談半分に話していたこともあった。そんな時に自担はサタジャニにて、大学院進学を発表した。

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(2016年2月27日 日刊スポーツ サタデージャニーズ)

それはそれは驚いた。散々話していたくせにね。だってほんとに年中舞台やコンサートに出ていたし、"もう両立なんて無理"って思ってると思ってた。そんな中で学年の成績優秀者として表彰されてるのも驚いたけど、本当に優秀だった阿部くんを見て教授から「大学院に行かないか」と言われて大学院進学を考えたというから、さらに驚きだった。

Snow Man知名度UPのためになればと思って」この時にも、気象予報士の資格を取ったときにも言っていたこの言葉は、もはや阿部くんの口癖。この言葉には自分の居場所を残してくれた5人への感謝の気持ちと、恩返しがしたいという思いが込められている。

 

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大学院進学後から1人でのテレビ出演が増えた。本当に増えた。何年も前から言っていた阿部くんのひとつの夢、クイズ番組の出演もついに2017年9月に果たし、初出演ながらも阿部くんの解答でCMをまたぐなどしっかりと爪痕を残した。「ジャニーズJr.」「現役大学院生」「気象予報士という肩書きがたんまりつけられる自担を、この人が好きなの!っておもわず自慢したくなった。当の本人は、どこに出演しても「Snow Manを知ってもらうため」「いつかはSnow Manみんなでクイズ出演がしたいからそのための出演だと思ってる」などと言っていて、ミラクル9(初めてのクイズ出演)の収録の日に、5人に『いってきます』って言ったらみんなが一斉に👍ってしてくれて嬉しかった!」(じつは佐久間くんだけさくピースだったらしいが)って言ってたように、本当にSnow Manがだいすきな阿部くん。


そのSnow Manのメンバーの中でも休業してまで大学を受けることを選んだ自担に対しての想いは様々だった。休業中帰る場所がないと思って辞めようかと考えてた阿部くんに会って励ましたり応援してくれた岩本くんとか、アイドルとして当時の状況に焦っていただけに賛成できなかった宮舘くんとか。宮舘くんに関しては、復帰してからも2人の関係性はいいものではなかったと思う。復帰後の滝チャンで仲直り的なことをしたけど、わだかまりがちゃんとなくなったのはもっと後だったと思う。でも今、当時は本当に必死だったと話しつつ「阿部は勉強していることを隠していて、もはやかっこよすぎてむかつく笑」などと言ったり、褒めてくれるようになった。なによりこうしてアイドルとして生きていく道もあるのだと納得して、認めてくれたように思う。あとで「自分のやるべきことを分かってる阿部が羨ましかった」と言っていた宮舘くん。阿部くんとの意見の違いはあったけど結局2人とも、アイドルとして活躍したいという気持ちは一緒で、とにかく必死にアイドルとして生きようとしてた。すごく素敵なことだと思うし、一番大事なことだと思う。仕事をする上で考え方に違いがあるのは当然だと思うけど、若いうちにぶつかったことがきっかけで今お互いに刺激をもらってアイドルとして頑張ってる。そんな彼らを応援できるのは、すごく楽しい。(発言は思い出しながら書いてるのでニュアンスです)

こうして、大学院に通ったことによって、ファンだけでなく自担の周りの人たちの考え方も変わった気がする。

 


2018年3月25日、Snow Manの横アリ初単独公演。この日、横アリのステージに1人で立った自担が言った言葉。

「もうすぐ、院卒アイドルになります!」
アイドルとして生きて行くための大学院進学を決めて、忙しいながらも両立を頑張り、「ダメだったらもうちょっと卒業が遅くなるかも」と言いつつも阿部くんはちゃんと3月に卒業を決めていて、それをファンに報告してくれた。

卒論や修論で苦しかった時期も研究室に行っていて、修論で追い込まれていた時期は舞台の後に朝まで研究室に篭って次の日また舞台。きっとたくさんの無理をしたと思うし苦しかったと思うけどそれを乗り越えてついに卒業だなんて、本当に本当におめでたいこと。2年前肩書きがなくなるのが嫌だと思っていたわたしも「"院卒アイドル"って響きもいいなぁ。めっちゃくちゃかっこいいなぁ」と思った。

  

そんな大学院の卒業式がこの大学院卒業宣言の2日後、2018年3月27日10時から行われることになっていた。その日行われる他グループとの合同コンサート"ジャニーズJr.祭り"の1部は12時開演。去年、Travis Japan 川島如恵留くんが祭りと卒業式が被ったとき「これからはアイドルとして生きて行くから」的な理由で卒業式に出ず横アリの舞台に立っていたと思うんだけど(ニュアンスですいません)学生を頑張ってきた自担にとってすごく大切な日だから卒業式に出て欲しいって気持ちもありつつ、でもきっと自担は横アリを選ぶと思ってしまっていて。いや、もうステージの上にいて当たり前くらいにまで思ってた気がする。ステージの上にいない自担が想像できなかった、いや、したくなかったんだと思う。今考えれば誰かと比べるものじゃなかったしほんとわがままで恥ずかしいなって、とても反省してる。

 

そして、12時開演。

定位置に、自担が、いない。

 

Snow Manが5人しかいない。

 

そこで初めて気付く。自担がいない現場、何をみたらいいのか全くわからない。“代わり”なんていない、ということに。すぐに状況を把握できなくて、気づいていない隣のお友達に伝えるのすら時間がかかった。ただただ、呆然と突っ立ってることしかできなかった。

自担が公演を休んだのは2015年1月以来だったと思うから、約3年前。気象予報士に受かってからは仕事を優先していたし、したいと思っていたようだったので、わたし自身もすっかりそれに慣れてしまっていて1人だけいない状況への耐性がめっきりなくなってただけに「仕事はもう休まないんじゃなかったの…?」なんてことも、ちょっと思ってしまったり。本当に恥ずかしい限り。

自担の立ち位置には他のメンバーがいて、横を見るとそこだけ空いてた。場所をつめてた。やはりどこをみてもわたしが一番大好きな人はいない。ということは卒業式に出たのだということはわかってるのに、今思えば「大げさかよ!」だなんて思うのに、不思議なものでこういう時って「もうこのまま私たちの目の前に現れないんじゃないか」とか最悪のことまで頭によぎるんだね。自分でも驚いた。阿部くんに限ってそんなこと絶対にないと思いつつも、でもアイドルに“永遠”とか“絶対”とかがないことも知っていて。デビューしてるとかしてないとか人気があるとかないとか推されてるとか推されてないとかそんなものは全く関係ない。誰にも突然いなくなる可能性なんて常にある。数日前まで立っていたステージから突然消えたとき、そんなことをどうしても考えてしまって不安でいっぱいになって、絶望に陥りそうになった。この時、いつも見えるところにいてくれることのありがたみを身をもって感じることになる。

気にかけてくれた隣のお友達が盛り上げてくれて楽しい気持ちも出てきつつ、5人のSnow Manを見ながらずっとモヤモヤしてた。

そんな中でMCがはじまるとA4サイズくらいの、手紙にしては大きな紙を2つ折りにして持ってきた深澤くん。隣の渡辺くんにコソコソ話したり、SixTONESが話してる間ずっとうろうろしたり話もしないのにマイク構えてみたり、息を深く吸ってみたり、とにかく落ち着かない様子。

Snow Manの番が回ってきて「阿部ちゃんから手紙というか、問題文?が届いてて!ちょっと変わってるんだけど笑」と手紙を出す深澤くん。無数の“た”が散りばめられた下にたぬきの写真がついている。その無数の“た”の中に「学生の自分との最後のけじめをつけてきます」の文字が見える。(うっわぁ〜〜…言葉のチョイスが阿部亮平でしかない…と胸がギュッとなった)

深澤くんが「これたぬきだよね。だから“た”を抜いて」と説明してくれる。隣で「うわぁ〜!まじむじぃ〜!」と騒ぐ佐久間くんがかわいい。「じゃあ岩本さん読んでみてよ」とだれかが言ったのにもかかわらず、スルーして深澤くんが読み始める。(譲らないのがさすがだったすき)

Snow Manでは、深澤くんに対して「なんかここ狭くない?」「俺の顔がでかいからやぁ!!」っていうやりとりがあって前からよくやっていたけど、最近あべふかでやることが多くて、手紙にもその文があった。(深澤くんが読むことを知っていて、というか頼んだのかな、なんて考えると愛しい!愛しすぎ!!)

「p.s.なんか横アリ狭くない?」を読んだ深澤くん、「俺の顔がでかいからね。」とすごく優しい声で少し俯きがちに言った。明らかにいつもの勢いはない。「なんか今日優しいね」って言われたときの深澤くんの一言。

 

「いや無理あるよ。直接言われないといつものやつできないから!笑」


この一言で、わたしはずっとモヤモヤしてた気持ちが一気に涙に変わってそれはもう引くほど泣いた。そうだった。阿部くんがいないと一番本領発揮できないのは、この人だった。"苦しいこともつらいことも全部共有してきた"大切な同期であり、いつもそばにいるそのメンバーは今日この場所にいない。あんなに寂しさが顔に出ちゃう深澤くんを見たことがなくて、涙が止まらなかった。(わけわからないタイミングで大泣きしてるわたしの背中を優しくさすってくれたお友達に「なるほど、これが(わたしが)よく言ってるあべふかか…!と思った」と言われた笑)

「今日は参加できなくてごめんなさい。学生の自分との最後のけじめをつけてきます」

その後、その"けじめ"という言葉に対して、けじめってかっけ〜!けじめなんて人生でつけたことある!?俺ないんだけど!!マッチさんの曲歌ったくらいだよね〜!けっじっめ〜♪って、"けじめ"で盛り上がる5人がものすごく愛しかった。阿部くんが発した初めて聞く難しい言葉に反応して、えっなにそれ!どういう意味ー!?って騒ぐ5人が、当人不在でも健在だった。

あと佐久間くんが持ってた阿部くんのうちわを、話してる人の後ろまで行って絶対にフレームインさせてくるのが嬉しくて。無邪気に楽しそうに阿部くんのうちわを移動させてる佐久間くんが"Snow Manには阿部ちゃんがいて当然!"って言ってる感じがして、ほんとそんな感じがしただけだけど、嬉しくて嬉しくて、泣いてたはずなのに笑っちゃった。

そして最後に深澤くんが「夜公演には阿部ちゃんもいるので!」と言ってくれた。この公演に自担がいないのは事実だけども、「次の公演にはいる」そう言ってくれるだけでものすごく救われるものがあった。不安なときいつも安心させてくれようとするのはあべふか同期コンビのことが多いなぁと思っていたのだけど、この時改めて思った。これからも深澤くんの隣にいてほしい。阿部くん早く戻ってきて、そんなことを深澤くんを見ながら考えていた。

 

そしてライブは後半へ。

各グループが次々と、各単独でもらった新曲を披露していた。きっとこのあと、Snow Manの新曲「Snow Dream」も披露される。2日前の単独コンサートで聴いたときに、この6人が大好きだと本当に本当に強く思った曲。それを今日は自担がいない状況で聞くんだと思ったら、今日は来るべきではなかったと思ったし、見たくないって思った。"あべこべな華"は誰が歌うの?せっかく名前を入れてもらったこの曲を2回目にして違う人が歌うの?って。ずっとぐるぐるしてた。その時間が着々と近づいていることが本当に苦しかった。

 

Snow Manのコーナーが始まった。

ステージが明るくなった瞬間。

 

 

明らかに6人いる。

 

 

何事もなかったかのように

当然のように

まるでピンチの状況にばっちりのタイミングで「待たせたな」と現れるヒーローかのように。

 

自担はステージの上に笑顔で立っていた。

(暗い花道を走ってセンターステージに向かっている影がわたしの目には6つ見えて、あまりに念が強過ぎて幻覚が見えてるのかと思った。ライトが当たって明らかにそこにいる自担を見て、泣き崩れてうまく立てなかった)

 

自分が長年大切にしてきたものと"けじめ"をつけてきたそのヒーローは、とてもすがすがしい顔をしてた。

 

1曲目のFlamingoの最後の部分、“Fly on...”の隣の人の肩に手を置くフリで、阿部くんの肩にゆっくり力強く、笑顔で阿部くんを見つめながら手を置いたのは、宮舘くん。その瞬間、阿部くんも宮舘くんの方を向いて、パッと笑った。この人が一番反対してたことをすっかり忘れてしまうくらい、2人とも嬉しそうな顔して笑ってた。その後のVanishing Overの曲中で岩本くんが「阿部卒業おめでとう!!」と叫んだ瞬間の阿部くんもほんっとに嬉しそうだった。

向かい側から歩いてきた佐久間くんを見て嬉しそうな顔したり、宮舘くんとハイタッチしてた、あの嬉しそうなキラキラの笑顔はきっとずっと忘れないだろうな。

 

そして深澤くん。
深澤くんは困った時とか緊急事態の時に同期である阿部くんの目を見る癖があって、この日のMCもずっと目を泳がせていた深澤くん。きっとこういうときは阿部くんと目合わせるんだろうなって、何度も思った。そんな深澤くんが阿部くん不在のBoogie Woogie Babyの間奏のときにいつもの位置で踊ってたとき、ふと最下手が立ち位置の隣の阿部くんの立ち位置があいてるの見て、踊りながらちょっとずつ阿部くんの立ち位置に移動して、臨機応変にフォーメーションのバランスをとってくれた。素敵な同期だなぁって胸がいっぱいになった。帰ってきた阿部くんに対して、ハイタッチとかハグとかはなかったんだけど(逆にしたら驚く)どこだっけな、ふたりですごく笑いあったんだよね。阿部くんの帰りを一番待っていてくれてたのはもしかしたらこの人なのかもしれない、って思った。

 
そしてなによりも6人の中で当然のように「おかえり」「ただいま」だったのが嬉しかった。

最初は反対の人もいたけどだんだんみんな自担の両立したいという気持ちを大切にしてくれるようになって、優しく見守ってくれたし、帰ってくるのを待っていてくれた。

よく考えたら、ほんの半日いなかっただけなの。でもここには、"阿部がいて当然"という阿部くんの居場所があって。「阿部の場所はここにあるよ」ということを、言葉には表さないけど、きっとそういうことなんだろうと思った。

 

阿部くん、言ってたね。「5人は帰る場所を残してくれた恩人なんです」って、口癖のように。恩返しがしたいって言ってたくさん頑張ってくれたけど今ここにいてくれるだけで、一緒に笑ってくれてるだけで、きっと十分恩返しができてるから不安にならないでほしいし、背負いすぎないでほしい。

 

ステージに立ってすぐに腰突き上げてみたりflamingoの「シャンパンのようなUr Smile」のとこで唇をなぞったり(いつもやばいけどこの日はもっと気合い入れてた)めっちゃくちゃアイドルだった時のわたしの気持ちがこちら。

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(荒ぶりすぎて字が字じゃないし、号泣しながらしっかりメモしてるの気持ち悪いし、こんなことばかり書いてるメモを見たお友達たちに「ポエムかよwwww」と相当笑われたけど、さっきまで大学院生やってた人が出てきた瞬間120%でアイドルしてるのが好きすぎたんだもん?!)

 

そして、

「君と描きたい景色がまだ未完成な間は もう少し側にいて」ー Snow Dream / Snow Man
突然現れてこんな歌詞の歌を歌う自担ほんっと。ずるかったな〜。笑

 

この日、アイドルを一筋に生きて行く覚悟と意地をすごく感じた。自担は最後まで両立を貫いてやるという意志がものすごく強い人だった。両立を頑張る「文"舞"両道」の自担が大好きだったことをわたし自身忘れてしまっていた。

 

思えば自担が気象予報士世界遺産検定に合格した時も、大学院進学を決めた時も、全部事後報告だった。メンバーにさえ勉強していることを隠してた。なんだかとっても阿部くんらしいんだけど、でもこんな大変な中で彼にとってアイドルである理由と、学生をしながらアイドルでいる大変さをどんなモチベをもって頑張っているのか、わかっているようで全くわからなくて。少しくらい背中を押させてくれてもいいのに、ファンやメンバーを頼ってくれていいのにってずっと思ってた。(だから少年たち2016のあべさくなべのシーンでは毎回泣いてたなぁ笑)

周りをもっと頼れるようになれたらもっともっと素敵なアイドルになれると思うから、これから頼ってほしいな。なかなか難しいだろうけど、これからは逆に人を頼る努力をしてほしいなぁなんて。思ったりする。

 

 

この日はほんとにずっと泣きながら防振覗いては「はぁぁぁだいすきぃぃ…」って小声でブツブツ言ってて、ふと、(えっわたしめっちゃくちゃきもいなお友達ごめん……)と思って顔を上げたら隣のお友達は「はぁぁ!背中のほくろがたまらん!!」ってブツブツ言ってた。いろいろあるけどやっぱおたくって楽しい。

 

散々泣いた。あんなに現場で泣いたことないってくらいには泣いた。

なのに結局、すっごくすっごく幸せだった。

 

世界で一番幸せになってほしいと思ってるのに、世界で一番幸せなのは阿部くんを応援できるわたしかもしれない、阿部くんごめんねって思った。…うん、めっちゃきもいな。笑

 

 

 

卒業おめでとう。

よく、がんばったね。

 

 

 

学生の自分にさようならをして、アイドルとして生きて行く覚悟をもってステージにあがったきみに、改めてありがとう、そしてこれからもよろしくねと心の中でそっと伝えた。

 

 

 

 

 

 

 

2018年春、

18年間学生だったきみと、さようなら。

 

 

 

 

 

 

 

《追記》

阿部くんが登場した瞬間、SixTONESLove-tuneTravis Japanのファンもいたにも関わらず、阿部くんはものすごい大歓声で迎えられた。会う友達会う友達に「阿部くんかっこよすぎでしょ」と言われたことは、わたしも本当に嬉しかったし、誇らしく思った。あの歓声を浴びた時の阿部くんは本当に嬉しそうな顔をしていたけど、あれからも「あの時大歓声で迎えてもらったことは本当に嬉しくて、今でも忘れられない」と度々聞くくらい、阿部くんにとっても大きな出来事だったようだ。

 

そして、もうひとつ書いておきたいことがある。

 

この日の12時ちょっと前、コンサートが始まる直前の話。卒業式を終え新幹線に飛び乗り新横浜へ向かう途中の阿部くんの元に、1通のメールが届いた。

 

「大学院修了おめでとう。行ってきます」

 

阿部くんはあれが本当に本当に嬉しかったと、大学院の話をする時にいつも話してるんだよ、

 

 

宮舘くん。

 

ある秋、初めてオリ曲をもらいました

 

今でも忘れない2015年の夏。

 

東京・日生劇場にて少年たちの上演が決まった。主演はSixTONES。スト担のお友達にすごいね!おめでとう!と言った、その数日後。応募を締め切った、確か次の日。その日、まだ大学生だった私は授業に出ていて、ボケッとしていた時に携帯に表示されたメール。そこに書いてあるのは「少年たちにSnow Manの出演が決定しました」。授業中だったけど、あの混乱は本当にはっきり覚えてる。(これを読んでくれてるよい子は真似しないでね)この決定は元から決まっていたのか否かは今になってもわからないが、こうして自担のいるグループの初の主演舞台が決まった。

 

そしてその年の秋。

前に先輩のいることのない舞台が幕を開け、

そこで自ユニは初めてのオリ曲をもらった。

曲名は「ZIG ZAG LOVE」

Snow Manらしくアクロバットもたくさん入れて、かっこいい&かわいいが詰まっている曲。途中では突然の腹チラ、そして頭には謎のハチマキ。(“今っぽさ”の中に“古き良きもの”を取り入れた結果だそうだ)

 

2016年秋。もうあんな経験はできないんだなぁなんて1年前の秋に浸っていた時、少年たちが決まる。そこでもらった2曲目のオリ曲「Acrobatic」は振りが覚えやすくてみんなに愛されるメロディの曲。ワインレッドのスーツの衣装が似合っててかっこいいのに、なんかわかんないけどかわいい。

 

とある雑誌から「春に新曲をもらう」という情報を得てドキドキしていた2017年春、もらった新曲は振り付け:五関晃一、衣装:三宅健、プロデュース:滝沢秀明という、豪華すぎるメンバーによって作り上げられることとなる。こうして出来た3曲目のオリ曲「Boogie Woogie Baby」。大人っぽい衣装に、とにかく沁みる歌詞。自担がこの歌詞を歌ってるところを見ると沁みてしょうがない。

 

3年目の少年たちでは劇中歌として歌われた4曲目の「Vanishing Over」、そして自身のグループ名が入った5曲目「Ⅵ Guys Snow Manの2曲をもらう。「Vanishing Over」は劇中歌での初披露だったこともあって他よりも薄い存在ではあったが、すごくかっこいい曲。湾岸LIVEの1曲目として使われた。「Ⅵ Guys Snow Man」は歌詞にグループ名が入っていて、真似しやすい振り付け。エイベみ。(あと個人的感想だけど、この曲の自担はいつもどエロい)

 

こうして、突然決まった主演舞台から2年の間に5曲のオリ曲をもらうことができた。なにもかもが速くて、事の速さについていくのがやっとの2年間だった。

 

 

 

オリ曲をもらうまで、私は特にオリ曲を切望していたわけではなかった。もらうことができたらそりゃ嬉しいに決まってるけど、漠然とほしいなぁ〜って思うだけ。なぜなら当時のSnow Manにとって、あまりにも現実的ではなさすぎたから。毎月1回の少年倶楽部の収録も今でこそ毎回出せてもらっているけど当時は不定期の出演だったし、正直“推されている”というわけでもなかったと思う。

 

それが自担が事務所に入って11年目の秋。アクロバットをふんだんに入れ込んで、みんなで出来るようなポーズまであって、Snow Manらしいねって言ってもらえる曲ができた。

偉そうなこととかいろいろ言えるくらい前からSnow Manを応援できてるわけではないけど、6人で先輩の曲じゃなく自分たちの曲を楽しそうに歌って踊る姿を見ることが出来たのはとても嬉しかった。

 

以前友達とすののオリ曲で何が好きかっていう話になったことがあったんだけど、私はやっぱり1番最初に見たときの6人の嬉しそうな顔が忘れられないのと好きな歌詞があるから「ZIG ZAG LOVE」だという結論に至った。

私はZIG ZAG LOVEの「夢が溢れる世界へと連れてく」っていうフレーズが本当にだいすきで。このフレーズのときに客席に向かって手を伸ばす自担がすごく好きだった。ここのフレーズは何度聞いても、何百回何千回聞いても、毎回ときめいてしまう。オリ曲は、作詞作曲してなくてもそのアイドルの思いとか頑張りとか1番伝わるんだよね。まるで自分自身の言葉かのように。

これはすのに限らず。私個人的には夢ハリがすごく好きなんだけど、「明日はない覚悟して今日を生きよう」だなんて、アイドルという職業に全力で向き合うアイドルが大好きな私にとってたまらない言葉で。他の人が考えた歌詞だとしてもその歌を最初に歌う彼らがその言葉の意味を噛み締め、気持ちを込めて歌ってると、もうその人の言葉なんだよね。

先輩の曲でもこの曲歌ってほしいとかそういうのは当然あるし、自分たちらしく自分たちの言葉のように歌い上げることはできる。でも彼ら発信で彼らが一から作り上げた世界観、彼らが歌う歌詞の意味、それを感じることができるのはやっぱりオリ曲特有だと思う。

 

初めてのオリ曲をもらって1年弱、2曲目をもらう直前の2016年夏。キスマイのバックにつかせてもらったSnow Manは、とっても有難いことに“Snow”にちなんでペンライトを白くした5万5千人が囲むセンターステージにて、初のオリ曲「ZIG ZAG LOVE」を歌わせてもらえることになる。

1年前のA.B.C-Zのコンサートバックについて1曲歌わせてもらえる時間があった時は、KinKi Kidsの曲「No Control」を歌っていた。

きっとSnow Manを知らない人にも、先輩の曲より彼ら自身の曲を歌うことで彼らの良さをより知ってもらえたのではと思う。ここでまた私はオリ曲の大事さに気付かされた。(映像化されたこのオリ曲のアングルがとても素敵だったことについてはあとで)

 

そして、ドームの真ん中でこの曲を歌う姿を見て信じてついていこうって思えたし、今でもこれを聞くたびに思う。

 

 

 「開いて閉じて開いて閉じてかいて!」\イケメン!/とか、「Say!」\Snow Man!/ とか掛け合いができたり、「近くにいるよ抱きしめて」のフレーズでぎゅーーーーっと抱きしめるフリをする自担とか……5曲のオリ曲はどんどん自分たちらしく変化してきたし、何度も聞いてるのにさらに好きにさせる。

 

でもやっぱりどの曲も、何度聞いても1番最初に見たときの記憶が消えなくて、ずっとそのイメージなんだよね。第一印象の記憶が、いつまでたっても愛しくてたまらない。

 

これからまたオリ曲をもらうことがあるかもしれないが、初めてその曲を歌って踊る彼らを見た時の感動をずっと胸においておきたいし、オリ曲を本人たち以上に大事にしていきたいと思った。

 

 

〜 おまけ〜

2016年のキスマイのツアー“I scream”のBlu-rayが出ること、そこにすののオリ曲を入れてもらえたこと、それだけでとっても嬉しかったのにオリ曲のアングルが素敵だったのよねぇ。

 

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そして「夢が溢れる世界へと連れてく」のときにドームのヒキの画を選んでくださった方、ありがとうございました。

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夢の世界に連れて行ってくれるアイドルって、最高だなあ。