ゆめがあふれるせかいへ

近道がないことは知ってるよ

“ジャニーズJr.担”を今日やめます

 

ジャニーズに入ってからずっと“ジャニーズJr.”だった自担が、今日をもって“ジャニーズJr.”を卒業する。

 

先日デビュー担の友人に「本当にいろんなとこでSnow Manの話あがるよね。こないだカフェ入ったら隣の人がSnow Manの話してて、あートレンドだなーって思ったよ」と言われたのがとても印象的で。セブンイレブンに行けば毎日入り口に自担がいて、毎日のようにテレビに出ていて、あらゆる場所でSnow Manの話があがる。何百人も出てる帝劇で“後ろの方にいる細くて背の高い一生懸命ダンスをする人”を必死になって探し出していた数年前には、そんな世界を1秒も想像もしてなかった。

webの連載もない、オリ曲もない、それどころか少クラの出演も年に数えるほどだったし、アイドル誌の掲載もごく稀。そしてもちろん、YouTubeもISLAND TVもない。ほんとに現場がなければ生きてるかどうかすらわからないくらいの情報の少なさだった。現場がなくなるとみんな、自担生きてる?が口癖だったくらい。そんな状況の中で仕事の大半を占めていた舞台やバックの仕事の現場では、本当に厳しいけど愛のある先輩に囲まれて回数を重ねるごとに成長していき、まわりの信頼も確実に得ていった。その結果バックについてほしいという依頼が多く、2015年は滝沢歌舞伎 新橋演舞場公演(52公演)が終わった10日後には、自分たちの単独コンサート(3日間)。その翌日からはA.B.C-Zのツアーのバック(東京・大阪)。2ヶ月後、滝沢歌舞伎 シンガポール公演(6日間)を終え、帰国した数日後から主演舞台の少年たち(33公演)など、毎年こんな調子だった。常に本番期間中に次の現場の稽古を行っていた。しまいには1年間で立ったステージ数は200を超え、あまりに忙しいSnow Manは「予約の取れない焼肉屋みたい(by 北山宏光くん)」と言われることもあった。けど、舞台やコンサートに実際に足を運ぶ人にしかその良さが伝わらないことが多かった。そう感じるその状況は毎年大きく変わることはなく、ずっともどかしかった。だけどその一方で「楽しいからいいか」と思っている甘い考えの自分も少なからずいたように思う。きっとその状況を誰よりも1番もどかしく感じていてどうにかしたいと思っていたのは、ジャニーズとして必死に闘っていた彼ら自身だったのだろう。

そんな中、数年前に三宅くん滝沢くんが雑誌の取材で「今Snow Manに足りないものはなんですか?」と聞かれて、口を揃えて「華」「技術もあるし完璧だけど華がない」と答えていたとき、悔しいけどぐうの音も出なかったことを思い出す。(発言は記憶の中のものなので一語一句はあってないとおもいます。ごめんなさい)

 

今からちょうど1年前の、2019年1月17日。それは正直わたしにとって10年以上オタクしていて、1番つらい出来事だった。


その日突然、6人のSnow Manを失った。


そこにあって当然と思ってしまっていたものが、突然なくなった。本気で生きる活力を失った。普段明るく楽しくオタクしたい精神のわたしも、あのときばかりはただひたすらネガティブな言葉でいっぱいのブログを書いた。今それを見るとなんだかすこし大げさに見えるのは、きっとこの1年間Snow Manが頑張ってくれたおかげなのかなと思う。当時は本当に悲しくて苦しかったし、6人のSnow Manを守れなかったことが本当に悔しかった。終わりって結構儚いことも、失ってからじゃ遅いことも、この時本当に痛感した。当時のわたしは向井くんがタイとのハーフ、ラウールくんがベネズエラとのハーフだということすら知らなかった。


この出来事で、いままでよりさらに上を目指しているんだと意識が変わったような気がするし、なにより同じ環境にいて6年以上経った状況で新しい選択をできたSnow Manってすごいなと冷静に思う自分もいたような気がするんだけど、当時はただやるせない気持ちが自分の気持ちの大部分を占めていた。

前向きになれる材料がなにもなかった。滝沢歌舞伎 南座公演の初日まで本人たちの姿を見ることはなかったし、発表の日に新聞でその決断についての言葉を見る以外は本当に何も情報がなかったから。今のSnow Manの人気と9人の安定感から想像できないと思うけど、もうそれはそれは、推測と批判と悲しみとで、SNSがとにかく荒れてた。本当に毎日。6人のファンだけじゃなくて、3人のファンも、それ以外も。それぐらいジャニーズJr.にとって、衝撃的なことだった。わたしはもう意見することすらも疲れて、毎日のいろんな言葉の行き交いにすっかり疲弊してた。

「いっそのことSnow Manと呼ばないで欲しい」6人でSnow Manという名前をもらった時、Snow Manを大事にしたいと言っていた彼らのことも大事にしたかったから、わたしはこう思ってた。こう思ったことは、のちに大後悔することになるんだけどね。

 

9人体制になった約4ヶ月後の、2019年5月5日。毎年恒例になっている、滝沢歌舞伎での深澤くんのお誕生日。お祝いの場面で挨拶を振られた深澤くんは目薬を取り出し、目に差してみんなを笑わせていた。そのまま明るく話しだしたいつもみんなの太陽みたいな最年長が突然、言葉に詰まった。そして徐々に肩が震え、お丸ちゃんの着物の袖で顔を覆う。そして一生懸命絞り出した声で伝えてくれた「僕だけじゃ守れないんです。みなさん、力を貸してください」という言葉。ここまで必死に守ってくれてた深澤くんが初めて出した、SOS。彼がファンの前で弱音を吐いたのも、あんな苦しそうに涙を流して言葉が詰まっている姿を見るのも、初めてのことだった。「頼れる最年長」と言って深澤くんをとにかく頼りすぎてしまっていたことにも、今がSnow Manの本当の勝負の時だということにも、ハッとさせられた。この日は、彼にとってわたしたちにとって、本当に意味のある日だったように思う。

あとで「(9人体制になったのは)Snow Manを守るため」と発言した宮舘くんの言葉からもわかるように、彼らは一生懸命Snow Manを守ろうとしてくれてた。

この話をすると必ず思い出されるのが、9人体制になって初めてのコンサートでの「僕はSnow Manでいることに、人生を賭けました」という深澤くんの言葉。ほんの少し震えてるようにも見えたけど、はっきりこう伝えてくれたね。

深澤くんはこの前の年の26歳のお誕生日の日に、滝沢くんから桜の盆栽をもらった。「来年はお前らも花咲かせろよ」という意味で。深澤くんはその盆栽を"お丸ちゃん"と名付け、それから毎日水をあげて、仕事で地方に行っていた時も親に頼んでまで水をあげてもらって、とにかく1年間大事に育てた桜が、このコンサートの日の朝に初めて花を咲かせた。
自分たちの手でSnow Manを守り抜くということを成し遂げた彼らを、とても誇らしいなと思う。

 

昨年初めて座長を務めた「滝沢歌舞伎ZERO」

9人になって初めてのお仕事。
ほぼ出ずっぱりで激しい動きばかりで、毎日みんなが必死に食らいついて命削ってるって感じで。まじでいつか誰か倒れるんじゃないかと、毎日ヒヤヒヤしてた。でも、言葉なしに“俺たちについてこい!”と言わんばかりのパフォーマンスをステージで見せてくれたことはかなり大きかったと思う。

 

“こうしてまた時間をかけて1から作って行こう”


そう思えたのは、具体的にこのとき、とかじゃなくて、そんな彼らを見ていくうちにだったかな。決定的な瞬間はない気がする。けど「急ぐ必要なんてない、着実に一歩一歩」それでいいんだと思えた。理解し合えない仲もあったりした6人の時だって、たくさん時間をかけたのだから。次第にYouTubeもたくさんの人に見てもらえるようになっていったし、活動の幅も広がっていった。目に見えて大きくなっていった。わたし自身もここまでアイドルのためにいろいろがんばったことってなかったような気がするし、前よりもっと彼らとファンが団結した、そんな1年だった。増員発表があって悲しくて悔しくて泣いたあの2019年1月17日からちょうど1年後の2020年1月17日。まさかMステでデビュー曲を歌ってるなんて思ってなかったな。本当に本当に、濃い1年だった。

 

あのときこの決断をしたことで、得られたこともたくさんあるし、それと引き換えに失ったものもあるかもしれない。
けどこの決断をしなかったらデビューだけじゃなく、Snow Manとして得たかったすごくすごく大事なものたちを掴めずにいたと思う。

 

改めて言うけど

向井くん、目黒くん、ラウールくん

6人と歩む決心をしてくれてありがとう。

 

 

「ジャニーズJr.は悔しさと闘う場所だ」
いつか自担が言っていた言葉。

昨年の夏にデビューが決まっていなかったら、きっと自担はまた新たな悔しさと闘い続けることになっていたであろう。そしていつか自担の心がポキッと折れてたかもしれないし、突然目の前から姿を消していたかもしれない。

 

15年近く悔しさと闘う中で自分には何もないと苦しんで、でもたくさん努力して前に進み続けた結果、いま「僕はこの仕事が天職だと思ってます」と言い切れるのって本当にすごいなあと思う。

「僕を構成する大きな要素が、悔しさ。不器用で、課題とぶつかることも多かった。でもそんな性格だからこそいい方向に動くこともあると思えるようになった」
きっとそんなふうに自分の中で消化できたからなのかもしれないね。諦めずに本当にたくさんの努力をして、自分の立ち位置を自ら見つけ出すことができたこと本当にかっこいいと思う。

きみは、自分は弱いと言うけど、そんなことないよ。
落ち込みやすいし抱え込みやすかったけど、まわりのために精一杯強い人間であろうと、たくさん頑張ってくれてたね。

 

それが顕著に出てた出来事。忘れもしない2016年8月12日、自身の入所12周年の記念日のコンサート。

それまでバク宙や台宙ができた運動神経のいいメンバーたちに反してずっと台宙ができなかった阿部くんがその日、突然高い台に登って客に背を向けてステージの端に立った。

 

そして、台宙をした。

 

少しだけ危なかったけど、でも手をつかずに、その足でしっかり着地した。

Snow Manの足を引っ張りたくないという気持ちと、ファンのみんなに成長を見せたいという気持ちが詰まったその台宙に涙が止まらなかったのをよく覚えてる。

 

 

 

 

この1年心が折れることが正直何度もあった。慣れないことも好きになれないことも、ゼロではなかった。それでもわたし自身が完全に心が折れて「Snow Manもういいや」という気持ちにならなかったのは、自担のアイドルとしてのスタンスやファンへの想いなど、彼の魅力であるものがデビュー発表前と今とで全く変わらなかったことが大きいかもしれない。
どんな時も「ファンの皆さんがいてくれるから」「みんながいなければここにはいない」と、いつもファンに優しい言葉をくれてありがとう。遠くに行っちゃったと思ってたら、近くに感じるような言葉をたくさんくれて、とても嬉しかったよ。大好きなところは、なにも変わってなかったな。
「阿部くんががんばってるから頑張ろう、と思ってもらえるのがベスト。みんなの原動力になれたらアイドルとしてそんな嬉しいことはない」
ここまで原動力がファンでいてくれる人って、素敵だなあと思った。

 

阿部くんは気象予報士世界遺産検定は受かるまでファンだけでなく、メンバーにも隠してた。気象予報士は5回受けてた(ちなみに気象予報士の試験は年2回)けど、全く言わなかった。世界遺産の本をメンバーに見られた時にも「どっか行きたいんだよね」ってはぐらかしたり。メンバーも知らないんだから、そりゃファンが「えっあの時そうだったの…?」みたいなことが多かったわけだよね。でも受かってからは以前より目標を口に出すようになった気がする。そうして発言するようになってから、「発言したことは責任をとらなければいけない」と自分を鼓舞することにつながったそうで、必死に努力して本当にたくさんの夢を叶えてくれた。クイズ番組が、まさにそう。
学業との両立に限界がきてマネージャーさんの前で泣いたこともたくさん悩むこともあったというのに、ファンの前ではいつも弱いとこなんて見せずに最後までやり抜いて、それが本当に本当に心配だったけど、やり抜いた阿部くんは世界で一番かっこよかった。

9人という新しい環境で、新たに叶えられた夢もあったね。ずっとグループで出たいって言ってたクイズ番組とか、歌番組とか。

そのたくさん叶えてくれた夢の中で叶えられていなかった夢、そのうちの大きな1つが「デビュー」だったね。6人時代、後輩たちがデビューしていって次第に「デビューしたい」という言葉をみんな口に出さなくなっていった。わたしの記憶の中での話だけど、「デビューしたい」と口に出す回数が比較的多かったのは岩本くんと阿部くんかな。それでも全体的にデビューに関しての言及は少なかった気がするし、わたしも正直デビューできるSnow Manをあまり想像することができなかった。

 

 

でもその夢はいつしか9人の大きな夢となり


明日、Snow Manがデビューする。

 

夢じゃない。

 

 

f:id:abb17:20200121023631j:image

セブンイレブン様が年末からカウントしてくださっていたこの数字もついに「あと1日」・・・)

 


自担がJr.を卒業するので、自ずとわたしも今日が“Jr.担”として最後の日になる。

わたし自身も他の子たちがデビューしていく瞬間を目の当たりにしたことは辛かったな。何度も何度も悔しいことがあったし、思うことがたくさんあったと思うのに、彼らは決して弱いところを見せずに、いつも通り最高のアイドルでいることに全力でいてくれた。それは本当に大きくて、だからわたしも強くいられたし、Snow Manを信じてこれた。そんな気がする。

いろいろあったことを思い出すけど、やっぱりJr.担は本当に楽しかった。クリエとか、歌舞伎とか、先輩のバックとか、初めてのWeb連載(すのにち)とか、初めてのオリ曲とか、夏のEXとか、初のCMとか、ZIPファミリーになったこととか、初のラジオレギュラーとか。

 

初めて単独で横アリのコンサートができた日の、きっと後にも先にもない目の輝きも、

自担が卒業式で不在のコンサートの途中、いないはずの自担がステージの上に現れた時のことも、

デビュー発表をした直後の自担の、泣きそうだけど本当に清々しい顔と頼もしい背中も、

そのコンサートが終わった後、すの担の友達たちと抱き合って年甲斐もなく声出して泣いたことも、

 

全部全部、一生忘れられない思い出。

 

たくさんのグループがある中で、"Snow Manの仕事がたくさん増えますように" "いろんな人に知ってもらえますように"という一心でリクエストとか感想とか送ったり、ひとつひとつの番組も盛り上げるのに必死だったし、グッズや写真も他グループより売り上げあげようとか、一年中そんなことばかり考えてるのも大変だったけど、でもとっても楽しかったな。すの担のみんなも、今日まで本当におつかれさま。

 

 

ジャニーズJr.としてたくさん楽しませてくれた自担とSnow Manに、心からありがとう。

 

 

最後に自担である、阿部亮平くんへ。

 

長年夢だと話してたクイズ番組、メインでいつか出るんだと言ってた歌番組、他にももう数えきれないくらいたくさんの夢を叶えてくれたね。世界で一番大好きなアイドルがここまでたくさんの夢を叶えてくれたひとつひとつの喜びは、きっと一生忘れない。

 

本当にたくさんいるジャニーズJr.の中から阿部亮平くんと出会うことができて、わたしは本当に本当に心から幸せでした。

 

そしてなにより、つらいことも本当にたくさんあったと思うけど、それでも15年間ジャニーズJr.として前を向き続けてくれてありがとう。

 

やるべきことはジャニーズJr.のきみが全部やった。


進むべきは、自分が正しいと思った方向。
誰よりも自分を信じてあげられる自分でいてね。

 

 

Snow Man/ジャニーズJr.」の阿部亮平くん。

もう一生出会うことはできないけど、

本当に本当にだいすきだったけど、

 

ばいばい。

 

 

 

 

 

 

 

さあ。

 

 

 

 


"The time has come"

 

時は来た。